中に入ると、三つの入り口があった。どこを通るかアランが迷っていると、カレルが言った。
「真ん中。」
「根拠は?」
「旦那は真ん中を選びます。避けて端に行ったりなんてしない。」
「アルベルの行きそうな方向に行っていれば、行き当たる可能性が高いってわけだね。クレアは…多分、アルベルと一緒に行動するだろうけど…」
ネルは先ほどの映像でみた二人の様子から、決裂して別行動をとるのではないかと、多少の不安を覚えたが、しかし、クレアはこの未知の場所で単独行動をとるような愚かなことはしないだろうと結論付けた。アルベルたちとのすれ違いを避けるため、部下を残して、真ん中の道を進んだ。
丁度そのころ。
「真ん中だ。」
アルベルは、扉の前に書いてある意味ありげな文言を無視し、三つ並んだ扉の真ん中を指した。
「ちゃんとこの文章の意味がわかったのですか?」
クレアは疑わしげに尋ねた。
「そんなもん、知るか。」
自信満々に言うアルベルに、クレアがぶち切れた。
「あなたって人は!どこまで自分勝手に事を進めれば気が済むのですか!」
するとアルベルは鼻で笑った。
「ふん。何でも自分の思い通りになると思うなよ?」
「いつ、私が自分の思い通りにしようとしましたか!?そのセリフ、そっくりそのままお返しします!」
「俺が譲れば貴様の思い通りになるってことだろうが!真ん中と言ったら真ん中だ!」
「さっき、真ん中の道を通ってひどい目に合ったばかりだというのに、どうしてまた真ん中を選ぶのですか!普通は避けて通るものでしょう?」
「普通?はっ!どこまでも自己中心的だな。」
「それはあなたでしょう!?」
「貴様のいう『普通』が基準だと誰が決めた!?大体、さっきの道だって真ん中じゃなかったら安全だったという保障はどこにある!?確かめてみたのか、ああ!?」
「ほ、保障などどこにもありません!ただあなたがあまりに真ん中に固執するのが滑稽だと思っただけです。馬鹿の一つ覚えみたいに!」
「何だとッ!?」
二人の視線の間にバチバチと火花が散る。
「根拠があるのでしたら、ちゃんと説明して下さい!」
アルベルは腕組みし、クレアを睨みおろした。
「いーだろう。貴様に分かるように説明してやる。」
「ええ、お願いします。」
人を小馬鹿にしたアルベルの物言いにクレアはムカッときたが、相手と同じレベルになってなるものかと、大人の意地を見せた。
「貴様の国の王は城のどこにいる?」
「王室です。」
「その王室はどこにある?」
「シーハーツ城内に決まっているでしょう!?」
アルベルが自分に何を言わせたいのかはっきりしないことにクレアはイラッとし、アルベルはなかなか自分の聞きたい答えが返ってないことにイラッとした。
「端か、隅か、真ん中か!」
クレアはそこでやっとアルベルが真ん中を選ぶ理由に気付いた。
「………真ん中です。」
くやしい!くやしい、くやしい!!クレアはそんな気持ちを抑え、必死で平静を装った。アルベルはこの言い争いに勝利を収め、満足そうな表情を浮かべた。
「そーだ。真ん中だ。大体、重要なもんは、一番奥の中心に置きたがるんだ。わかったか、クソ虫。」
だがクレアも負けてはいない。悔しさをばねに、何とか形勢をひっくり返そうと必死で考えをめぐらせ、反論した。
「で、でも、この道が、そもそも端の方にある道だったらどうするんですか?現段階では、どの道がこの建物の中心寄りかなんてわかりません。」
言われてみればその通りだ。
「〜〜っとに、口の減らねぇ女だな!真ん中といったら真ん中だッ!」
「待ってください!勝手に先に行かないで!」
「俺の選ぶ道が気にいらねぇならついてくんなッ!」
「『二人で協力しなければ先に進めない』と言われたのを忘れたのですか!?私だって、あなたになどついて行きたくないのですからっ!」
アルベル達は盛大にもめながら真ん中の扉に入っていった。
台の上にそれは置いてあった。
異常なくらい幾重にも封印の施術を掛けられた日記帳と『婿殿へ』と書かれた封筒。
アルベルはツカツカと歩み寄り、封筒を開けた。中には幾枚かの写真が入っていた。案の定、女装の写真。しかし、もう一枚は…
「なんだこれはッ!?」
それは癒し猫を抱いて眠る自分の姿だった。こんなヌイグルミなど知らない。しかし、間違いなく自分である。いつ撮られたのか?場所は修練場。こんなことをするのは奴らしかいない!後でギタギタにしてやる!…でもまあ、アランとの写真じゃなくて良かった。次をめくると、
『おまけじゃv』と書いてある紙が挟んであり、それをめくって次の写真を見た。一瞬何が写っているのかわからなかった。だが次の瞬間、カッと頬を上気させ、急いで目を逸らした。それはクレアの写真だった。浴場での。アルベルはそれを極力見ないようにしながら、急いで他には自分の写真がにはないことを確認してから、ぶっきらぼうにクレアに突き出した。
日記の無事を確認していたクレアはその写真を見るや息を呑み、アルベルの手から引っ手繰った。
「もう…!もう、本当にもう…!!今度という今度は!!!」
半泣きになりながら怒りに肩を震わせるクレアに、思わず同情してしまったアルベルであったが、それよりも、とにかくもうここには用事はない。ここから出なくてはならない。
「出口はどこだ?」
そう言ってアルベルが台から離れた時だった。台の両脇に置いてあった石像が動き出した。
「なんだ?」
一体の石像がクレアに向かって襲い掛かってきた。
「下がれッ!」
アルベルは自分も下がりながら刀を抜き、クレアを掴もうとする石像の腕を刀で弾き、間に立ちふさがった。だが相手は石だ。痛みなどない。ひるむことなく突進してくる。こういう非生物系の魔物には身体のどこかにコアがあるはずだ。それを破壊すればいいのだが。取りあえず動きを止めるため、刀を上から下まで振り下ろした。衝撃波が石像を真っ二つに割り、石像はバランスを崩して床に倒れた。
もう一体がこちらに向かってくる。アルベルはそちらに向かって走り出した。
クレアはアルベルを援護しようと急いで施紋を刻もうとして気付いた。施術が使えない!?動揺したその隙を狙われた。真っ二つになって転がっていた石像が再び動き出してクレアを掴んで吊り上げたのだ。
「きゃあッ!!」
クレアの悲鳴に、アルベルが振り返った。
「なにやってんだ、このクソ虫がッ!」
クレアの不甲斐なさに対してそう怒鳴ったとき、背後にふっと空気の動きを感じた。アルベルはそれを目視することなく身をかがめた。石像の腕が頭上を掠めていく。その時には既に、アルベルの目線は石像の足にあった。石像の左のくるぶしにあるクリスタル。おそらくあれがコアだ。
「ここかァッ!!」
アルベルは低い姿勢のまま、足首めがけて刀を横なぎにした。コアを破壊された石像はざっという音と共に、石と砂に還った。アルベルはそれを見届けもせずにきびすを返すと、クレアを捕まえている石像に地を這う衝撃波を飛ばした。クレアはこちらに迫りくる斬撃に思わず目を瞑った。と、次の瞬間、身体を掴んでいた硬い石の感触が崩れ、一瞬の無重力状態を感じた後、地面に強かに打ちつけられた。
アルベルは周囲を見渡し、他に危険がないのを確認すると、刀を納めた。
「ふん。さっさと出るぞ、こんなところ。」
だがクレアは立てなかった。地面に落ちたときに足を挫いたのだ。鋭い痛みが走る。
「あ…足が…!」
「まったく!使えねぇ女だな!」
アルベルの言葉にクレアはカチンと来た。こんなに人に迷惑をかけることなど滅多にないことなのに。
「ちっ、仕方がねぇ。」
そう言いながら、アルベルが背を向け、クレアの前にしゃがんだ。その行動の意味がわからず、クレアは怪訝な視線を向けた。だが、
「さっさと負ぶされ。」
なんとクレアを背負おうとしてきたのだ。クレアは慌てた。これ以上、迷惑をかけたくない。
「結構です!」
「いいから、早くしろッ!」
「いやです!」
アルベルの世話になどなりたくない。すると、アルベルがムッとして肩越しに振り返った。
「髪の毛引っ掴んで引きずられたくなけりゃさっさとしろ!」
「放っておいてください!」
クレアのその頑とした態度にアルベルはぶち切れ、本当にクレアの髪を鷲掴みにして引っ張った。
「きゃあッ!痛い、放してッ!!」
「妙な意地張るんじゃねぇよ!この強情女め!」
「やめてッ!」
アルベルは髪を掴んだまま、クレアの頭を揺さぶり、目の前で怒鳴りつけた。
「てめぇのその強情さのせいで、周りがどんだけ迷惑するか、わからねぇのか!?」
「なんですって!?」
クレアはアルベルを睨み返した。
「てめえがここに残ったら、その後どうなる?ああッ!?」
アルベルはクレアの頭を放り捨てるようにして手を離した。クレアはよろめき、地面に手を付いた。それでも負けてはいない。キッとアルベルを睨む。だが、
「他の奴がここにお前を迎えに来なきゃならねぇ!」
「!」
「今までの道中を考えろ!そいつにまで危険な目にあわせるつもりか?ああッ!?」
その言葉にクレアは内心動揺した。確かにその通りだ。だが、そうしなくていい方法はある。
「迎えに来てもらう必要などありません!一人でここから出ます。」
「その足で何ができるってんだ!できもしねぇことを言うな!」
「では私はここで死ぬまでです!クレア・ラーズバードは死んだと皆に伝えてください!」
その言葉にアルベルは激高した。
「はッ!それで自分の気が済みゃ満足か!自己満足もたいがいにしろッ!!」
「!!」
クレアは唇を噛み締めた。『自己満足』もっとも聞きたくない言葉だった。
「そもそも、なんで俺がそんな嘘をついてやらなきゃならねぇんだ?お前のどうでもいい意地の為に、か!?冗談じゃねぇ!」
「意地など張っていません!この状況から、そうすべきだと」
「何が『そうすべきだ』!綺麗ごとばっかり並べたてやがって!いい加減、その嘘くせぇ芝居はやめろ!」
「嘘くさい芝居…ですって?どこが…!?」
「全てだ。台本どおりの台詞に、習ったとおりの立ち居振る舞い。特に、お前の嘘くせぇ笑みには寒気がする!『クリムゾンブレイド』だかなんだか知らねぇが、オツに澄ましてんじゃねえよ!」
突然、パーンッと小気味良い音が鳴り響いた。クレアがアルベルの頬を引っ叩いたのだ。
「何も知らないくせにッ!子供の頃から期待され続けて、私がどんなに…!どんなに…」
クレアは手で顔を被った。涙が止まらない。好きでこんな自分を演じているわけじゃない。本当はもっと羽目を外したい。昔みたいに、何にも気にせず、声をあげて泣き叫びたい。
「もう疲れたの…。」
それはネルにすら言ったことはなかった。同じ重荷を背負っているネルに対して、決していえないことだった。そう言ってしまったら、ネルはきっと無理をしてでも一人で背負おうとするから。
「フン…無理していい子ぶるからだ。」
クレアは指先で涙を拭き、鼻をぐすっといわせた。泣いたら少し気持ちが落ち着いた。
「あなたは悪ぶっているんだわ。本当はいい子の癖に。」
アルベルはムキになった。
「だッ!誰が『いい子』だ!?二度とそんな口きけねぇように切り裂いてやるかッ!?」
「どうぞ。」
クレアのツンとすました態度に、アルベルはギリリと奥歯を噛み締めた。
「てめぇ…俺が本気じゃねぇとでも思ってんのか!?」
「ええ。ですから、どうぞ。そうすれば、心置きなく、私をここに捨てていけるでしょう?」
「チッ!」
結局、クレアはアルベルの背に負ぶさった。手にはアルベルのガントレットを持っている。負ぶさる前、アルベルに「持ってろ。」とポイと渡されたのだ。それはずっしりと重く冷たい。
(こんなものを付けて、辛くないのかしら?)
アルベルがそれをわざわざ外したのは、クレアを背負うときに、ガントレットの爪がクレアの足を傷つけてしまうから。こちらがそれに気付かなければ一生わからなかっただろう、『優しさ』。アルベルの背中は、当たり前だが、温かい。そして、さらさらとした髪からはやさしい良い匂いがする。
(香水…じゃないわ…石鹸?)
この人も、風呂に入れば、髪も洗う、普通の人間なのだ。そんな当たり前なことが、新鮮に感じるのは、アーリグリフ最強の戦士『歪みのアルベル』という偶像のせい。そして、人に『歪み』を感じさせる態度のせい。
アルベルの腹心、カレル・シューインに言われたことがある。クレアとアルベルはよく似ていると。そのときはまったく思い当ることはなく、反論したが、今、彼が自分達の何を指してそう言ったのか、わかった気がする。
「あなたは『歪みのアルベル』として生きて、疲れたりないのですか?『いい子』でいるより、ずっと風当たりが強いでしょうに。」
「別にそんなつもりで生きてるわけじゃねぇ。そもそも、何を言われようが気にしなきゃいいだけだ。」
「でも『いい子』と言われるのは嫌なのでしょう?」
顔は見えなかったが、気配でアルベルがムッとしたのを感じた。
「……つくづく口の減らねぇ女だな。」
「あなた程ではありません。それに、言いたいことは、まだ山ほどあるんです。」
アルベルは、まるで降参とでもいうかのように、ふぅと溜め息をついた。
「こうなったらついでだ。今の内に、言っておけ。俺が素直に聞いてやろうとしている内にな。」
クレアは驚いた。さっきまであんなに棘だらけの言葉を並べ立てていたのに、クレアが涙を見せた途端、アルベルはその棘を引っ込めてしまった。以前もそうだった。後で「言い過ぎた」とわざわざ謝りに来たのだ。
(女の涙に弱いのかしら?)
そんな考えがぱっと浮かび、クレアは小さく笑った。この際、遠慮なく言いたいことは全部言わせてもらおう。
「まず『クリムゾンブレイド』と呼ぶのはやめて下さい。『クレア・ラーズバード』という私の人格を無視されているようで不愉快です。」
「…。」
そう言えば自分も『グラオ・ノックスの息子』と言われるのが嫌だった。
「それから、報告書はせめて読める字で書いてください。最初は嫌がらせかと思いました。」
その件に関しては、いまだにウォルターから叱られる。
「それから、何か気に入らないことがあるなら、ちゃんと言葉にしてください。」
アルベルは反論しかけたが、
「私にわかるように。」
と言われては沈黙せざるを得なかった。カレルに言われたことを思い出したからだ。
『ねぇ、旦那。言葉って何の為にあると思います?相手に伝える為でしょう?それが全然できてない『言葉もどき』を人に聞かせて、一体どうしようっていうんです?』
「あなたは気に入らないかもしれませんが、私はこれからも『クリムゾンブレイド』を演じなければならないんです。それが嫌なら嫌で構いません。ですが、普通の会話くらいはできるでしょう?人を無視したり、不愉快にさせたり、まるで子供だわ。」
アルベルはむっつり黙り込んでいる。本当にこの女は言いたいこと言ってくれる。でも、嫌な感じはしない。今は彼女の心と言葉が一致しているからだ。
「今後、ますます二国が協力し合っていかなければならないときに、話し合いも必要です。もっと対話を重視して下さい。余計な事は遠慮なく仰るくせに、そういうときだけ無口になられると困ります。それから…」
「まだ、あるのか!?」
アルベルはうんざりと遮りかけたが、
「私、好きな人が居ます。」
という、予想外の告白に、黙り込んだ。クレアは寂しげな表情でアルベルの後ろ頭を見つめた。
「でもその人は、あなたの事が好きなの。」