小説☆アラアル編短編集---将棋

  「はい、王手♪」

  「ちッ!クソッ!」

カレルの王手に、アルベルは悔しそうに舌打ちした。カレルは将棋が恐ろしく強い。しかも将棋だけでなく、囲碁やチェスなどの戦略ゲームに関して、まさに負けなしなのだ。それをアルベルが聞きつけ、無謀にも勝負を挑み、あっさり打ち負かされたのである。

ここはカルサア修練場の兵士達の休憩所。今は昼の休憩時間で、昼食を取った兵士達は、そこで思い思いの格好でくつろいでいる。団長が居る前で、それは無礼なのであるが、アルベルの、

  「ここは休憩所だ。休憩してろ。」

の一言で、兵士達は気兼ねすることなく、のんびり休憩しているのだ。

  「団長、こいつね、打った相手の性格がわかるんですよ。」

  「そうそう、それがもうずばり当たってんで、皆面白がってんっすよ。」

周りで勝負を見ていた仲間達が、カレルの特技をアルベルに教えた。

  「ほお?」

アルベルが興味深げにカレルを見た。すると、カレルは駒を最初の配置に戻しながら、

  「旦那の事はもうよ〜く知ってますからね。でもま、旦那の打ち方を言えば――」

と、アルベルの棋風を解説し始めた。

  「旦那はとにかく、すがすがしいまでに真っ直ぐ。ホント、嫌味のない良い手を打ちますよ。でも、途中で面倒になって勘でテキトーに打ってるでしょ?あ、考えんのやめたなってのがすぐわかる。負けが込んでくると、こっちが思わず唸るような凄ぇ手も打てるくせに、ねぇ?」

カレルの診断に周囲がどっと笑った。曲がった事、卑怯なことが何より嫌い、そして、面倒くさがりの負けず嫌い。アルベルの性格そのままだ。と、そこへ。

  「アルベル様、こんな所にいらしたのですか。」

とアランが顔を見せた。その途端、その場の空気が一気に白けた。その情景を表すなら、ゴロツキの巣に白馬でやって来た貴公子。まさに場違い。しかも相手は疾風団長。本来ならば立ち上がって敬礼すべきなのであるが、アルベルが「休憩所で、敬礼云々の必要はない。」と言っている手前、それはできないのだ。もしこれがアルベルよりも明らかに格上である王やウォルターであったならば、敬礼しても問題はないだろう。だが、アランの場合、地位は同じ団長同士であってもアルベルの方が格が上だ。カレルなど、こういう状況に慣れてる者は軽く頭を下げる程度で済ませたが、新参者はやはり立ち上がって、しかしアルベルの命令もある手前それ以上の事は出来ず、気まずそうに互いの顔を見やっている。

アルベルはそんな空気に気付きつつも、そのままほったらかしにしている。それぞれの意思に任せているのだ。勿論、面倒くさいというのもあるのだが。

  「何の用だ。」

アルベルはぶっきらぼうに答えた。本当はアルベルも、身形を整えて大人しくしていれば、『こんな所』の雰囲気にはそぐわぬはずなのだ。しかし、本人はこれまた全く気にしていない。

  「この書類の事でご相談が…」

アランはそう言いながら一枚の紙を差し出した。本当は相談など必要なかった。アルベルを食事に誘うための単なる口実だったのだが、アルベルはその書類を一瞥しただけで話を変えた。

  「そんなことよりお前、将棋は打てるか?」

  「はい、一応は。」

  「なら、こいつとやれ。」

  「え?」

アルベルと打つのかと思って正直に返事をしたら、アルベルが顎で指したのは、よりにもよって最も気に食わぬ相手、カレル・シューインだった。カレルはちらっと2人の顔を見比べて状況を見、黙って座っている。アランは、カレルがアルベルの腹心であるというところは勿論、何を考えているのか掴めぬところも、人の心の内を見透かしているようなところも、こちらの思い通りに動かぬところも、とにかく気に入らないのだった。しかし、アルベルの命令には背けず、アランはアルベルが退いた椅子に座ってしぶしぶ打ち始めた。



異例の若さで疾風団長となり、総隊長としてアーリグリフ三軍を統括しているアラン・ウォールレイド。彼の頭脳明晰さは誰もが認めるところである。対して、アルベルの懐刀、カレルシューイン。彼は軍略・知略においてまさに右に出る者がない。その二人の勝負に、兵士達が興味津々で集まってきた。ひそひそとどちらが勝つか囁き合っている。これが団長の前でなければ、盛大に賭けが始まったことだろう。

しーんと緊張した空気の中、淡々と駒が動いていく。だが、勝負がいくらかも進まぬうちに、カレルはアランの顔を見、ちらと不快な顔をした。そして、

  「これ、最初からしましょ。」

というと、自分の駒を元に戻し始めた。突然の展開に、周囲がざわつく。

  「何故ですか?」

アランが問いかけると、

  「言っていいんですか?この場で。」

カレルが抑揚のない小声でそう言った。自分でわかっているだろうと、そんな言い方だ。アランはすっと目を細めた。

実はアランは本気で打っていなかったのだ。

周囲で見ているものは、その事に全く気付いていない。当然だ。アランが将棋を打ってみせるのはこれが初めてなのだから。アランの実力がどれくらいかなど、誰も知らないのだ。だから、初心者の手を打った所で、誰にも気付かれるはずもなかった。それなのに、どうしてこの男はそれに気付いたのか。いや、それよりも問題なのは、カレルが敢えて付け足した『この場で』という言葉だ。これは単純に『皆の見ている前で』という意味ではない。『アルベルの前で』と言っているのだ。

適当に打って、適当に負けて、適当にこの場をやり過ごそうとしたなど、そんな、勝負を汚すような事をアルベルが許すはずもない。大抵の人間はアルベルの怒りを恐れるものだが、アルベルに対して特別の感情を持っているアランにとって、それは特に重い意味を持つ。それを知って言っているのか、知らずに言っているのか、カレルの飄々とした表情からは全く読み取れない。

どうやらシラを切り通せそうにないのを感じ、アランは内心舌打ちしながら、黙って自分の駒を戻した。すると、その様子を見ていたアルベルが

  「どうした?」

と試合を中断した理由を訊ねてきた。アランはギクリと固まり、ちらっとカレルを見やった。だが、カレルはそのことには一切触れなかった。

  「ちょっと、いい事思いついたんで。」

  「いい事?」

  「勝った方にご褒美下さいよ。」

  「褒美?」

  「その方が張り合いがでますからね。ねぇ、アラン隊長?」

カレルがアランに話題をふり、ニッと笑った。

  (この男、やはり知っている…?)

アルベルに対するこの感情を。別に知られたら知られたで構わないのだが、それがどうかわからないところが、どうにも落ち着かない気分にさせる。ただ単に自分が過剰反応しているだけかもしれない。いっそはっきりさせるのも手だが、やぶへびにもなりかねない。知らないでいてくれたらその方がいいのだ。

しかし、当のアルベルはまだ何も知らない。純粋にカレルの提案を受けた。

  「…いいだろう。ただし、事による。」

カレルは腕を組んでしばし考え込み、

  「そーだな…あ、そうだ!俺は昨日頼んだ件、あと一日追加で。」

  「いいだろう。…二日追加にしてやる。」

  「やりッ!よっ、旦那、太っ腹♪」

  (昨日の件?)

事情を知らないアランは、アルベルと二人だけの会話を交わすカレルに嫉妬の目を向けた。『昨日頼んだ件』とは、実は休暇の日数だ。義父がハシゴから落ちて骨折したという知らせが届き、急遽実家に帰りたいと申し出たのだ。これを別に隠す必要なはいのだが、カレルは敢えてはっきりと口にしなかった。

  「お前は?」

アルベルがアランに尋ねた。アランは急いで考えをめぐらせ、そして、

  「明日、一日私にお付き合い下さい。」

という、解釈によって何でもありになってしまうご褒美を思いついた。

  「付き合う?何に付き合えというのだ?」

  「明日、行きたいところがあるのです。良かったらご一緒に、と。」

  「…ふん。ま、いいだろう。」

  (ヴォックスが死んだら今度は旦那の腰巾着になろうってわけか。後ろ盾がねぇヤツは大変だよな。)
  (行きたいとこって何だろ?昔ヴォックスの手先だっただけに、気になるな…。)
  (あやしい…。けど、女の噂があるしなぁ…。両刀?いや、男とどーこーって噂は聞いた事がねぇ。でも、どー考えても、これは旦那にホの字…だよな…?いや、気のせいか??)

薄々勘付いている者、気付かぬフリを決め込んでる者、全く気付いてない者。それぞれの思いが交錯する中、今度こそ真剣勝負が始まった。



  (勝ったな。)

カレルはふっと息つき、緊張を解きほぐした。まさに息をつく間もないほどのキツイ勝負だった。まだ複雑な展開が残ってはいるが、このまま間違えずに打てば自分が勝つだろう。目を上げてアランを見ると、アランは盤上を見つめながら、唇を噛み締め、微かに顔を顰めた。だがその表情は一瞬で、すぐさまいつもの表情に戻った。そして、優雅な手つきで無造作に王を動かした。

  (は!?)

何でこんなところに打つのか、これまで完璧に統制が取れていた駒の流れが、ここに来て突然途切れてしまったことにカレルは戸惑った。奇策狙いかと、あらゆる手を考えようとしたが、何手も先を読まぬうちに、アランの意図に気付いた。恐らくアランはカレルと同じ終局を見たに違いない。そして、勝負を捨てたのだ。このまま打ち続けても負けは決まっている。だったらさっさと終わらせようという考えなのだろう。

カレルは髪をかきあげ、軽く眉間に皺を寄せて頭をかいた。アランの思惑に気付いていない周囲の者は、この一手が、無敗のカレルを苦しめる程の凄い手なのかと、真剣な表情で盤上を覗き込んでいる。

カレルはそのまましばらく沈黙していた。そして、この一手を取り消させようと口を開きかけたが、途中でそれを止め、手順どおりに駒を動かして最後に王手をかけた。それで終わり。周囲がカレルの勝利に沸いていたが、カレルは黙ったまま、さっさと将棋を片付けてしまった。

  「アルベル様の参謀を務めるだけあって、さすがにお強いですね。」

アルベルとのデートがふいになってしまって、カレルに対する忌々しさで腸が煮えたぎっているはずなのに、アランはそれを微塵も見せず、にこやかにそういった。だが、カレルはそちらを見もせずに、

  「…どうも。」

と素っ気無くそういうと、

  「んじゃ、旦那!ごほーび、有難く頂戴しまーっす!」

とアルベルには明るく挨拶し、そのままフイと出て行ってしまった。



カレルが自室に戻ろうと歩いていると、その後をライマーが追いかけてきた。

  「おい、どうしたんだ?」

  「別に。」

ライマーは、カレルの様子が変だということに早い段階で気付いていた。何かあったはずなのだが、カレルは素っ気無い返事を返しただけだった。まだ話す気にはなれないのだろう。そこで、ライマーは別の方向から聞きだすことにした。

  「何で一局目を途中でやめた?」

  「あまりにも定石通りだったからさ。そんなのつまんねーだろ?」

  「へぇ?」

カレルは差し障りのない言い方で真実をぼかした。親友にまで不快な思いをさせる必要はないのだ。

一局目のアランの打ち方、あれは初心者の打ち方だった。最初の内はカレルも騙されたが、途中でふと違和感を覚えた。初心者ならではの手。初心者が陥るであろう落とし穴。こちらの手にあっさり乗ってくる読みの浅さ。それらがあまりにそろい過ぎていた。
つまり、初心者であり過ぎた ・・・・・・・・・ のだ。

  「で?どうだった?」

  「ん?」

  「疾風団長のお手前は?」

  「あ〜、強いね。今まで打った中で一番強い。」

  「そうか…。」

カレルの評価に、ライマーは面白くなさそうな顔をした。

カレルが勝ったのは、アランの心理を読んだからだ。アランには何としてでも勝ちたいという焦りがあった。そこを突いたのだ。それに対して、アランはこちらの心理など全く考慮に入れず、盤面の動きしか見ていなかった。もしこれが盤面上だけの勝負であったなら、勝敗は五分五分だっただろう。しかし、打ち手が人間同士である以上、動揺もするし、ミスもするのだ。打ち手の心理状況も考慮に入れるべきなのである。アランにそれが出来ないうちは、

  「ま、負ける気はしねぇけど。」

  「ははっ!」

カレルがハッタリでもなくそういうと、ライマーが小気味良げに笑った。だが、カレルはまだ笑みを見せない。

カレルが将棋などを好むのは、ただ単に勝った負けたが楽しいからではない。自分が打った手に相手が反応し、それに自分が答える。指し手を通して対話をする、そのやりとりが楽しいのだ。

アルベルと打った時はとても楽しかった。アルベルは、まずは相手の出方を見るより、自分から切り込んでくる。そして複雑で面倒くさい局面になると直感でかいくぐり、負けが込んでくると、それこそ必死で考え始める。そして、こちらが想像してなかったような、実にユニークで面白い手を打ってくるのである。さっきの局面でそれをしてたら勝ちが見えてたのかもしれないのに、それはそれなのだ。将棋を通して改めて感じたアルベルという人間性。打ちながら、「旦那らしい。」と自然に笑みがこぼれた。しかし、アランは…。

  「で?疾風団長殿の性格診断の方は?」

  「フン。人を馬鹿に……っつーより、そもそも人を人とも思ってねーんじゃねぇの?」

  「…へぇ?」

ライマーはちょっと驚いて親友の横顔を見た。ようやくカレルが不機嫌になっている原因を突けたらしいのだが。カレルがこういう荒い口調になるのは、相当腹を立てている証拠だ。そして、これ程までに怒りを露にすることは滅多にないのだ。

  「何でもあんな風に簡単に切り捨ててくんだろうな。ハッ、手駒とはよく言ったもんだ。」

  「…ふーん。」

カレルは苛立ちながら前髪を掻き揚げ、最後にこう言い捨てた。

  「あの人とは二度と打ちたくねぇ。」

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■あとがき■
時期としてはアランが疾風になったばかりの頃。まだアルベルに告白もしてないし、一緒に住んでもいない頃です。
カレル、怒ってこんな風↑に言ってるけど、実はアランの事そんなに嫌いじゃないのよ。それはまた別のお話で。
因みにワタクシ、将棋はちっともわかりまへん。せいぜい駒の動かし方くらい?