小説☆アラアル編短編集---それぞれの休日〜アラン

アランはベッドに横たわったまま、ムカムカしながら天井を見つめていた。アランの頭の中で、白い天井にすっと黒い線が格子状に入り、そこに配置された駒が記憶のとおりに動いていた。

  (あそこだ。あそこで功を焦ってしまった。そこを突かれた。)

勝敗を決したあの局面が、目の前にまざまざと浮かぶ。あの一手で、アルベルとのデートをふいにしてしまったのだから、悔やんでも悔やみきれない。アランはごろりと寝返りを打った。

  (あの男が張っていた罠にきれいにはまってしまったのは、気持ちが焦っていたからだ。そうでなければ、あんな小細工に引っかかるわけがない。今考えてみても、あの時どうしてその罠に気付かなかったかわからない。あの時はあまりにも勝つことばかりを考えていて…。)

そこでアランはハッとした。

  (まさか、『アルベル様からのご褒美』というのも、あの男の策だったのか…?私を焦らせるために?いや、まさかそんなことまで考えてはいまい。しかし、あの思わせぶりな言い方…。)

後からカレルのご褒美が何だったのかアルベルから聞き出してみれば、何のことはない、ただの休暇の日数だった。それをあんな風な言い方でぼかす必要などない。もし仮に、カレルがそこまで考えて『ご褒美』をと言い出したとしたなら、カレルはアランのアルベルに対する感情を計算に入れていたことになる。しかし、それはどうしても認めたくなかった。そこまで完全に敗北しているとは思いたくなかったのだ。

  (悔しい。本当に悔しい。)

カレル・シューインという男が現れるまで、アランは『悔しい』という感情を知らなかった。

何より腹が立つのは、こんな風に悔しいと思うのは自分の方だけであるということだ。いつだったか、カレルを完全に出し抜いてやったことがあった。だがそんな優越感も一瞬だった。なんとカレルは悔しがるどころか、こちらに心底感心し、あろう事か賞賛までしてきたのだ。そんな反応を望んではいなかった。歯軋りし、地団太踏んで悔しがるのを、勝利の座から見下ろしたかった。

自身の負けをあっさり受け入れるカレルの態度が、何事にも執着しなかった、かつての自分の姿と重なるようにアランには思えた。自分を勝手にライバル視し、汗まみれで必死で追いつこうとする輩を、何の感情もなく見下ろしていた自分と。つまり自分は、生まれて初めてライバル意識を持った人間から相手にもされていないのだ。そんな思いがずっとあった。

だから、今回将棋に負けた時、自分もカレルを賞賛してみた。こんな勝負の結果など、どうということはないという風に。だが、カレルはそれに対して大した反応も示さず、そしてアルベルに対しても無礼な程あっさりした態度で去っていった。アルベルからのご褒美をもらえる立場にいながら。

  (もっと嬉しそうにするなり、感謝の意を表すなりすればいいものを!アルベル様が何も仰らないのをいいことに、図に乗りすぎている。全く、やることなすこと本当に気に入らない!)

いらいらとカレルの顔を思い浮かべていて、アランは昨日からずっとカレルのことばかり考えていることに気付いた。

  (これではまるで恋わずらいのようではないか。冗談ではない!)

アランはいらだたしげに再び寝返りを打った。そこでふと、視線の先のベッドサイドに置いていた宝物を思い出した。アランは手を伸ばしてそれを取り上げた。それは手のひらサイズの写真入れ。中には、勿論アルベルの写真。だが、その写真の中のアルベルは小さく、しかもぼやけていた。武闘大会の時に、こっそりと遠くから撮った写真だったのだ。

しかし、それがアルベルであることには変わりない。アランはふわりと柔らかな微笑を浮かべた。

  「おはようございます、アルベル様。」

アランは気持ちを切り替え、起き上がってカーテンを開け、窓を全開にした。朝の心地よい空気が入ってくる。

  (そうだ、昨日のことなど忘れて、ずっとアルベル様の事を考えていよう。)

アランは顔を洗って身支度をし、朝食の準備に取り掛かった。

アランは疾風団長となってから、団長に与えられているアーリグリフ城の一室に住んでいた。もっとも、代々の団長はこの部屋を使っていない。大抵は、豪華な自宅をもともと持っているか、新たに建てるかするからだ。だがアランは、他の部屋に比べれば内装は豪華であるが、質実剛健を旨としたアーリグリフ城の一室に過ぎないこの部屋で十分だった。しかも身の回りのことを家政婦などに任せることなく、全て自分でしていた。それが全く苦にならないどころか、自分でするのが楽しかったからだ。

実家にいた頃は、一切させてもらえなかった。しかしアランは、そういう下賎なことは下賎な者がするべきであると教えられながらも、子供の頃から家政婦達が働く様子に興味を持っていた。中でも特に興味があったのは料理だ。肉や野菜などの食材が、見事な料理へと変化していくのを見るのは飽きなかった。そしてある時、自分もやってみようと思いついた。しかし、こっそり厨房に入り込んでパンを作ろうとしたのがばれ、手の皮膚が切れて血が出るほど散々鞭で叩かれた後、貴族の心得について書かれた書物を暗唱できるようになるまで部屋に監禁された。それ以来、なるだけ興味を持たないように、そして出来るだけ忘れるようにしていたのだ。

アランが疾風団長に就任したと事を知った父は、しつこくアラン用の邸宅を用意しようとしている。だが、アランはそれを理由を付けて蹴ってきた。自分の生活を父に管理されたくなかったし、いずれその家に花嫁を送り込んできて、跡継ぎを作れと言い出すのがわかりきっていたからだ。やっと手に入れた自由を奪われたくなかった。

けれど、アランにもマイホームへの憧れはあった。勿論アルベルと一緒に住むのだ。

  (アルベル様のお好きな食べ物は何だろう?アルベル様の好物をいっぱい作って差し上げよう。尚且つ栄養のバランスもきちんと考えなければ。お嫌いな食べ物が、私の料理によって好きになってくれたらいい。部屋はいつもきちんと片付けて機能的にも完璧なように家具を配置しよう。どんな装飾がお好きだろうか。それから洗濯したての服をいつも準備して、そうだ、お着替えもお手伝いできる!)

アルベルの為に料理を作ったり身の回りの世話をしたり…。自分の好きなことで、愛する人が喜んでくれるなら、これほど幸せなことはない。アルベルに作るつもりで食事を用意しながら、夢のような空想をしていて、ふといい事を思いついた。あの場の成り行きで、今日は『行きたいところがある』と言ってしまったが、その出先から帰って来たことにして、何か土産を持ってアルベルの家へ訪ねればいいのだ。口実は何だって構わない。アランは手早く食事を済ませ、手土産に何を持っていこうかと考えながら、足取りも軽く部屋を出た。

ところが、城を出たところでアランの表情が凍った。その視線の先にあったのは、豪華なルム車。父だ。最悪なことに、車から降りようとしている父と目が合ってしまった。

もはや逃げられない。そう観念したアランは、下腹に力を込め、一切の表情、そして感情までもを消し去ると、ゆっくりと自分の父親の方へ歩いていった。

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■あとがき■
アラアル短編集「将棋」の続編です。
アルベル編/→カレル編
アランvsカレル。今回  アランの負け。カレルに相手にされてないってのは、アランの勝手な思い込み。カレルがアランのことをどう捉えてるかってのは、番外編にてv
ぼやけて小さくしか写っていない写真が宝物…。なんとも悲しい片思い。