■2日目■
『アラン隊長のおいしいクッキー』
と看板を立てた店舗の前には長蛇の列が出来ていた。城の厨房と仮設店舗の間を、疾風の団員が忙しく往復し、厨房ではアランのレシピに従って、団員達が必死でクッキーを作っている。
「うわぁ!すごいですねぇ!」
クレアとともに歩いていたファリンがその列を見て、驚きの声を上げた。
「アラン様のクッキーかぁ〜。私も食べてみたいなぁ〜。」
クレアは幸運にもアラン本人が作ったクッキーを口にする事ができた。上品な甘さ、生地のほっくりとした口当たり、絶妙なチョコレートの配分、何もかもが完璧。あんなに美味しいクッキーは今まで食べた事がなかった。ネルや部下達にも食べさせたいと、視察ついでにここに買いに来たのだが、これでは何時間も並ばなければならない。また後で来ようと、先に他のブースを見て回る事にした。
風雷のブースではルムの革製品を並べて売っていた。どれもいい品だと思うが、残念な事に客は殆どいない。クレアは店番の風雷の青年に声を掛けた。
「売れ行きはどうですか?」
「や、これはクレア様!」
寒そうに椅子に座って店番という任務を遂行していた青年は、クレアに気付いて急いで立ち上がった。
「どうも疾風と漆黒に客を取られてしまったようです。」
「商売など、初めてで…。」と、照れくさそうに頭をかいた。
「ここはあなただけですか?他の方々は?」
「他の者は『風雷ちゃんこ』の方に行っております。幸い、そちらの方は繁盛しているようで。」
『風雷ちゃんこ』では、ルム肉のちゃんこ鍋を振舞っている。この寒さの中で客が熱々のちゃんこを美味そうに食べていれば、人も自然と集まるだろう。それに比べると、こちらはどうしても引きが弱い。しかし、もっと活気があれば人は集まるはず。
「お一人では寂しいですね。…ファリン、誰か、呼び込みが上手な人を呼んできて。」
「はぁい!」
すると、風雷の青年は慌てた。
「いえ、そんな!そんな事をして頂くわけには!」
「でも、こんなに素敵な製品を作ってらっしゃるんですから。もっとみなさんに見て頂くべきです。…これはキーホルダーですか?」
「え…ええ。その模様は平和の象徴である『羽』をモチーフにしたものです。」
「とても素敵ですね。私も一つ記念に頂きます。おいくらですか?」
「あなたからお金を頂くわけにはいきません。どうぞ、お持ちください。」
「困ります。ちゃんと商売なさって下さらないと。」
「しかし…!」
「これで足りますか?」
それからしばらくお金を受け取るの受け取らないのともめた末、ようやくお金を押し付けてきた。
風雷のブースは部下たちに任せ、クレアは漆黒のブースへと向かった。遠くからでも異様に盛り上がっているのが伝わってくる。
「さあ、このアーリグリフ最強アルベル・ノックス団長をK.O.出来るのは誰だーッ!?」
拡声器から聞こえるノリノリな司会者の声。沸き起こる歓声と爆笑の渦。漆黒は雪の仮店舗は使わず、広場を仕切って独自のブースを作っていた。雪のブロックを積み上げて舞台を作り、その中央奥にアルベルが王様のごとく大きな椅子に座らされていた。そして、その前で男が鶏になりきって腕をバタつかせ、「コケーッ!」と奇声を上げていた。観衆は大爆笑。だが、アルベルは難しい顔をして男を見ている。実はアルベル、大の大人が首筋の血管まで浮かせて必死で鶏の真似をするその異様さに、ただただ呆気に取られていたのだ。そうこうしている内に時間切れとなった。
「ハイ残念でした〜。つまらない物、差し上げま〜す。懲りずにまた挑戦してくれよな!さあッ、次の挑戦者、カモ〜ンッ!」
スゴスゴと引き下がる鶏男と入れ違いに、次の挑戦者がアルベルの前に立った。でっぷりとした腹に顔を描いて。男が腹をくねらせると、腹の顔がぶるぶると震えだした。ここからではアルベルの表情まではよく分からない。だが、壇上で明らかに先程とは違う反応を見せている。すると、カランカランカラーンと高らかに鐘が鳴り響いた。
「アルベル団長の笑顔ゲットーォッ!おめでとーッ!!いい物、差し上げまーす!!」
ドカーンと歓声が起こった。
「クレア様ぁ、『いい物』って、何をもらえるんでしょうねぇ?」
「さあ…?」
カレルは賞品に金はかけないといっていたが。近くにあった看板にはこう書かれていた。
『
アルベル・ノックス団長を笑わせたら豪華賞品が貰えるよ!
挑戦一回につき100フォル。
〜賞品一覧〜
大爆笑…レア物
笑顔…いい物
失笑以下…つまらない物
』
そこへ、ゲームに挑戦して敢え無く敗れたのであろう若者が二人、景品を手に人の輪の中から出てきた。
「いやあ、驚いた。アルベル団長も笑ったりするんだな。」
「さっきの奴、上手い事やったよな。」
「『至高のどら焼き』ゲットか。なかなかレアだぜ?」
「それに比べてこっちは『へっぽこな腕輪』だ。ほんとにつまんねぇもんだな。」
「まだいいよ。俺なんか『漆黒一の筋肉男ジョニーのブロマイド大量生産版』だぜ?こんなんが大量にあるって考えただけでぞっとするぜ。」
「ちくしょー!激レアアイテム『マユちゃんの使用済みエプロン』、絶対手に入れてやる!リベンジいくぞッ!」
「よっしゃッ!今度はズラ被ってみようぜ。」
「…。」
若者たちが、次はどうやって笑いを取ろうかと相談しながら遠ざかっていくのを、クレア達はなんとも言えない表情で見送ったが、とりあえずこのブースは心配することはないと、気を取り直して次に行くことにした。
『漆黒の軍師と頭脳勝負!』
さっきのブースより人は少なかったが、それでも結構な人数が集まっている。カレルはこちらの方を、どうやって客を集めようかと悩んでいたのだが。一体どんな手を使ったのだろうと思って近づくと、すぐに理由がわかった。なんと
カレルは同時に5人の相手をしていた。しかも、それぞれチェス、将棋、囲碁、オセロ二人…とバラバラ。その超人的な光景に、ゲームを知らない者たちも足を止めて見入っている。クレアもその人ごみに混じって、この人の頭の中は一体どうなっているのだろう?と思っていると、すぐカレルがこちらに気付いた。
「旦那のところ、見てきた?」
「ええ。」
将棋を挑んだ老人が飛車を動かした。カレルはそれをチラッと見ると、ぽんと桂馬を進めた。老人はうーんと唸って再び考え始めた。
「どんな風だった?」
その間にもチェスはチェックメイト。カレルが勝った。相手が5人でもまだまだ余裕のようだ。
「とても盛り上がっていました。」
「そっか。」
カレルはオセロをクルッと黒にひっくり返しながら、それなら良かったと笑った。オセロの盤面は真っ白だ。もう一人のオセロ挑戦者との勝負もカレルの方が劣勢だ。オセロは苦手なのだろうか?囲碁はカレルが優勢だが。
「お手が空いたら、私もお相手して頂けますか?」
クレアは100フォルを差し出した。それをカレルはすんなり受け取った。
「勿論もちろん!…おい、イスを持って来てくれ!お姫様の御成りだ!…はい、どーぞ♪」
民衆に(実はカレル本人にも)気づかれないように、“お世話係”と称してさり気なくカレルを護衛しているライマーの部下が椅子を持ってきた。温かいお茶も差し出される。
「いえ、そんな!…あ、すみません。有難うございます…すみません。」
クレアはお茶を持たされ、椅子に座らせられた。
「ちょっと待っててくれるか?あんたとは差しでやりてぇんだ。」
カレルはそう言いながら、将棋に王手をかけた。王が逃げたが持ち駒の金を突きつけ再び王手。老人が考え込んでいる間に、囲碁は終盤となり、カレルの勝ちで決まり。将棋を打っていた老人も、もはや打つ手なしと漸く気付いた。問題はオセロだ。二人相手にどちらも劣勢だと思って見ていると、相手がパスをしだした。打とうにも、打つ場所がないのだ。そうこうする内、あれ程真っ白だった盤面が、まるで魔法のように黒に変わって行った。結果、カレル全勝。周囲から賞賛の拍手が起こった。
「お強いですね。」
クレアが感嘆すると、カレルは「まあな。」とサラッと流した。そして、一口茶を飲み、気合を入れてクレアの前に座った。
「…賞金は1000フォルだったのではないですか?」
『勝ったら10000フォル!』と看板に書かれているのを見つけ、クレアは尋ねた。
「1000フォルじゃ人は来ねぇと思ったんで。ゼロを足したんだ。」
「負けたら自腹でしたよね。大丈夫なのですか?」
「いや、全然。俺に代わって親友の懐が痛むことになる。そんなわけだから、何が何でも勝ちに行くからな。」
こういう展開になると決まった時には、先月の給与は既に使ってしまっていた。次に給与が入ってくるのは祭が終わった後。貯金は一銭もない。それで、ライマーが肩代わりすることになっていた。カレルは本当は将棋や囲碁に金をかけるのは嫌いだったのだが、それは私情だと飲み込み、手筋のこだわりを捨てて、割り切って勝つための手を打っているのだ。
「勝負は何にする?」
「囲碁で。」
「じゃ、握って。」
漆黒の頭脳とクリムゾンブレイドとの対決とあって人が集まってきたが、囲碁は知らない人が多く、しかも一対一の対局なので、しばらくするとすっと人が引いていった。ファリンも、カレルの(本当はライマーの)部下と世間話をしている。結局、カレルとクレアは碁盤を挟んでの二人だけになった。
「すみません、お邪魔してしまったみたいで…。」
クレアが気にすると、カレルは首を横に振った。
「いや、ちょっと休憩しねぇともたねえから、ちょうどよかった。」
「まあ!あなたにとっては休憩ですか?私は真剣なのに。」
クレアが笑いながら軽くにらむと、
「ははっ、失言。」
カレルはぺろっと舌を出して屈託なく笑った。
「けど、今日の客の中ではあんたが一番強いぜ?」
そう言ってくれたが、カレルの方が遥かに強いのは確かだ。クレアが打つと、まるでこちらがどう打つのかを知っていたかのように、すぐさま打ち返してくる。
「あなたより強い方はいるのですか?」
しかし、どうやら身近には存在しなかったようで、カレルの答えはこんなものだった。
「こんなに世界は広いんだから、絶対いるはずだと思うんだけどな。シーハーツで誰か知らねぇ?」
クレアは首を横に振った。クレアの知っている範囲では、自分が一番強いのだ。
「やはり、好敵手がいないとつまらないものですか?」
そう聞きながらクレアが打つと、
「別に楽しいけどな。競り合った方がもっと楽しいだろ。」
カレルはにっと笑ってパチッと打ち返してきた。クレアはしまったと思った。
(ああ…この石も死んでしまった。…先にこちらに打つべきだったわ。悔しい…。)
こちらが陣地を取りに行っている間に置かれていた布石がここに来て威力を発揮し、じわじわとクレアを追い詰めている。どこかでこの嫌な流れを断ち切れないかとクレアが盤面を見つめていると、カレルがぽつりとつぶやいた。
「あんた…負けん気強ぇなー。」
「え?」
カレルも目を上げ、にっと笑った。
「その上、頑固。」
「そうですか?」
「なんてったって我が強い。自己中心的。」
「そうでしょうか?」
そんなこと一度も言われたことはない。ずっと自分を殺して生きてきたつもりだ。我侭など一度も言った事はない、と思っていたら、
「我侭…って意味じゃねぇからな。」
と言われてしまった。一瞬、自分の心を読まれたかと思った。
「例えば。自分がこうだから人もこうに違いないと、自分を中心に置いて考えるタイプだ。」
ドキリとした。それを悟られたくなくて、その言葉をそのまま相手に返す事で誤魔化した。
「あなたは?」
だが、カレルは、
「さあ、どうだろうな?自分じゃわかんねーし。」
と、さらりとかわしてしまった。
「…。」
星のペンの一件が頭を過ぎる。カレルの胸ポケットには、父親に貰ったというあのペンが修理されて戻っていた。勿論元通りというわけではないが。そしてその隣にクレアがあげた星のペンも納まっている。最初は気を遣ってくれているのかと思っていたのだが、そのペンで遊んでいる姿を実際に目撃してから、どうやら気に入っているのは本当だという事がわかり、それで少し救われた。
「それから。ついでに言うなら肩肘張りすぎ。もっと自然体でいいと思うけどな。」
「どうして…私が自然体ではないと思うんですか?」
「それで自然体だってんなら、あまりに良い子過ぎだ。」
『良い子』という言葉にカチンときたが、クレアは余裕たっぷりにクスッと笑った。
「カレル様って本当に面白い方…」
「ストップ!」
「?」
「その『様』ってのは辞めてくれ。カレルでいい。」
「では、カレルさん。」
「…まあ、それでもいいけど。」
多少不服そうだったが、『様』よりはいいか、と了承した。
「貴方ほど、洞察力のある方には初めてお目にかかりました。」
すると、カレルは言った。
「そうか?俺、旦那…アルベルの旦那には適わねぇけど?」
「え?」
意外な人物の名前が出てきて、クレアは戸惑った。
「すげぇことに、ほぼ100%当たるんだ。」
カレルは感心するように言った。
「それは人に対してだけじゃなくて、物事に対してもそうなんだ。ぐっと根っこの部分を掴んでしまう。何の脈絡もなく。」
「脈絡なく?」
「そ。旦那はどうも感覚的に捉えてるみてぇで、そう考えるに至った経緯を聞いたって、『知らん。』の一言で終わり。人には見えない何かを見てんじゃねぇかって気がする。」
「見えない何か…それはなんですか?」
「さあ?こいつはヤバイぞ、とか書いてあったりしてな。ここらへんに、モヤモヤーっと。」
カレルは冗談めかしながら、頭上で手のひらをひらひらとさせた。
「あの人の前でいくら格好つけても、旦那はそんなとこなんか見てない。見てるのはその奥の本当の姿。だから、あの人の前じゃ何をどう取り繕ったって無駄なんだ。」
作られた自分。それはアルベルに言われたことがある。
『その、いい子ぶる所が気に入らねえんだ!てめぇの本心は違うだろう!何か言い返せ!』
『フン。自分が演技してる事にも気付かねぇのか、阿呆。』
アルベルは、一体自分の何を見ているというのだろう。演技なんてしているつもりは毛頭ない。
「つまり、あの方が私を避けるのは、私の頭の上に、あなたの仰る『ヤバイ』という文字が書いてあるからですか。」
「ははっ!気にしてんだ?」
カレルはカラッと笑った。
「あれ程あからさまに拒絶されたら、誰でも気にするのではありませんか?」
クレアは努めて穏やかに言った。
「確かにな。けど、旦那があんたを避けたり、突っかかったりするのは、多分あんたに自分と同じ匂いを感じてるからだと思う。あの人、自分の事が嫌いだからさ。そりゃ反発するよな〜。」
私がアルベルと似ている?そんなはずはない。
「あの方と私は、全く逆のタイプのような気がしますけれど。」
「いいや、よく似てる。表面に現れている方向性が違うだけで。」
あのガラスのような独特の瞳で正面からじっと見られ、クレアは碁盤に目を落とした。しばらく黙って打ち合っていたが、徐々に劣勢となってきた盤面を見ているうちに、どうしても反撃したくなった。
「気になっていたのですけど、あなたはハロルド様がお嫌いなのですか?」
「別に。」
「本当ですか?」
「ああ、別に。」
嘘ばっかり。
「それなら、もう少し仲良くなさってもよいのではありませんか?」
そんなクレアの一言に、カレルは思わず吹き出した。
「そんな必要ねぇだろ。“お友達”じゃねぇんだから。」
「それはそうかもしれませんが。でも、ライマー・シューゲル様とご友人であるのなら、ハロルド様とも仲良くできるのではありませんか?」
ライマーの名前が出た瞬間、碁笥から碁石を取ろうとしていたカレルの指先から、するりと石が滑り落ちた。カレルはそれを取り直しながら訊ねた。
「…なんでそこでライマーが出てくるんだ?」
「この間気づいたのですが、あの方はどこかハロルド様と似てらっしゃいませんか?」
カレルがむっとしたことに気付ける者はこの場にはいなかった。
「…どこが?」
「なんとなくですが、あの真面目な雰囲気が。」
「全然違うだろ?」
「だけど…」
「ほら、次の手はまだ?集中しねぇと、このままだと負けだぜ?」
どうせ最初から勝ち目などない。クレアは一手さし、話の方に重点を置こうとしたとき、ぞろぞろと客がやってきた。
「皆、一緒にいいんですかね?」
噂を聞きつけ、集団で勝負を挑みに来たのだ。
「どうぞどうぞ。」
それからカレルは7人の相手をし始め、すると、観衆も集まってきた。結局、それ以上の話は出来ず、囲碁の方は9目もの差をつけられて終わりだった。
その頃アランは。
アルベルが祭りのイベントに借り出されるという事で、早速現場に向かった。企画の内容は既に厳しくチェック済みではあったが、漆黒は何をしでかしてくれるかわからない人間の集まりだ。当初の趣旨から外れているようであれば即刻中止させるつもりだったが、人が多すぎて近寄ることすらできなかった。聞こえてくる限りではそう羽目を外している風でもなかったので、諦めて城に戻ってきたのだったが、面倒な事に、後ろから花束やらプレゼントやらを持った女達が、一緒にぞろぞろとついてきてしまった。
アランはそれを完全に無視してそのまま城の二階の自室に閉じこもり、まずは今日の分の仕事を終わらせた。そして、そろそろ野次馬も消えた頃だろうと部屋を出て、城の一階で行なわれていた絵画展場へと向かった。しかし、一階に下りたところで、自分の過ちに気付いた。なんと女達の数は倍以上に増えていたのだ。
「きゃああvvアラン様vv」
待ちに待ったアランの登場に、待ち伏せしていた女たちが花束やらプレゼントやらを持って一斉に集まってきた。それを三人の部下がさっと防いだ。しかし、女達はそれでも尚アランに近づこうと、キャアキャアいいながら押し合いへし合いしている。アランはそれへ向かって言った。
「静かに。」
しかし、アランが声を発した瞬間、女たちはさらにヒートアップしてしまった。女達の声は城の壁に反響しまくって、アランの耳を不快に刺激した。アランは部下に一声命じた。
「抜刀。」
部下は我が耳を疑うようにアランを振り返ったが、聞き間違いではなかった事を見て取ると、すらりと刀を抜いた。突然刃を向けられた女たちは、水を打ったようにシーンと静まり返った。
アランはそれを冷ややかに見下しながらいった。
「ここは芸術を鑑賞する場です。しかしながら、あなた方はこの場に相応しくない。速やかに退出願います。」
そこへ、絵画展の責任者を務めていたしていたオレストが騒ぎを聞きつけてやってきた。そして、その異様な光景を見るや、慌てて間に立った。
「剣をおさめて下さい。」
オレストが厳しい表情でそう言うと、部下に戸惑いが走った。だが命令はアランのもの。部下達はチラリとアランを窺った。そしてアランがOKのサインを出すと、ホッとしたように剣を鞘に収めた。
「皆さん。こちらへ。」
オレストは女達を城の外へと誘導した。
アランはそれを見送ることなく、ようやく静かになったと落ち着いて絵を見始めた。いい絵があったら部屋に飾ろうと、一点一点じっくり見て回った。
カレル・シューインが持ってきた企画の中では一番気が利いている。とはいえ、やはりあの男が絡むとまともな絵画展とはいかないようだ。話にならない落書きまで一緒に展示されている。まあ、笑いを取るという点では成功しているのかもしれない。アランの後ろに控えている部下達も、密かに笑いを噛み殺している。
どうやらこの一区画には同じ人物が描いた絵をまとめて展示しているらしい。
アランはそんな落書きなどには興味はないと、そこを素通りしかけたが、最後の絵の前で足が止まった。
そこには将棋の棋譜が描いてあった。将棋の駒が縦一列に並んだ終局図。表題は『遊び心』。確かに珍しい形ではあったが、これを絵と評するのはどういうセンスか。しかし、それで分かった。これが誰の絵か。この細かい字からも間違いない。それで棋譜を読んでやろうという気になった。
最初は軽い気持ちで見ていたが、次第にアランの目は真剣になった。
(ここに放り込む、か…。)
ただ取られる為に打たれた銀。この対戦者はあっさりそれを取ってしまったが、実はそれを取ってしまうと王の逃げ場がなくなってしまうのだ。結果、そこからあっという間に勝敗は決した。かといって、その銀は放ってはおけない。しかし、これをどう受ければよいものか…。アランはしばらく考え込んだが、いい答えは見つからなかった。悔しいが、この一手は芸術的と言えるかもしれない。
一度、カレルと将棋を打ったことがある。その時はアランの焦りの一手が原因で負けた。あの一手さえなければ勝てたと思っていたのだが、その自信はなくなってしまった。
(それにしても…)
急に他の絵のお粗末さが腹立たしくなった。どれもこれも落書き以下。知性の欠片も感じられない。
(もう少しマシな絵を描けばいいものを…。)
仮にもこの自分の上をいく人間が、こんな低次元にいてもらっては困るのだ。こんな人間に負けたなどと思いたくない。
そんな、悔しさと忌々しさが入り混じった感情を吹っ切るように、アランはその場を離れた。
と、面白い絵を見つけた。カレル・シューインと同じ表題で絵を描いているようだ。荒々しい筆遣い。大胆な配色。枠にとらわれない構図。今まで見てきた絵の、どの系統にも属さない。素人が描いたもののようにもみえるが、いずれにせよ優れた感性の持ち主だ。
特に、この風景画が気に入った。突き抜けるような空の高さを大胆な色使いで巧みに表現している。自宅に飾るには個性的過ぎる絵だが、どうしても素通りできない。どこか飾れるところはないだろうか。そうだ。アーリグリフ城の自室なら…。アランは部下に言った。
「責任者を。」
アランの部下に呼ばれて、オレストがやってきた。女性たちをなだめてやっと穏便に帰ってもらったところだ。オレストは怒りをあらわに、ツカツカとアランに歩み寄ると開口一番にこう言った。
「アラン隊長。お気持ちはわかりますが、あのような無粋な真似は以後ご遠慮下さい。」
かつて、漆黒に入りたいと言ってきたあの美貌の若者が、今や自分より上の立場。しかし、言うべきことは言わねばならない。アランの部下達は、オレストの勇気ある行動に驚いた様子だった。ところが、
「わかりました。ところで、この絵を頂きたいのですが。」
と、アランはそれをあっさり右から左へと流してしまった。どうでもいいということが感じられて、オレストは腹を立てたが、これ以上は何も言えない。あの時、本当に漆黒に入れなくて良かった、と心底思いながら、気持ちを切り替えてアランの示した絵を見た。
それはアルベルの絵だった。先入観なしに絵を見てもらいたかったので、名前を公表していなかった。アルベルとカレルは自画像(カレルはライマーの顔)を描いてはいるのだが、そこから誰かを判別することは不可能だった。アランはこれがアルベルの絵だと知っている風ではない。それを教えてやる義理もない。
「この絵は他にも購入希望者がいますので、オークションにかけられることになります。」
「そうですか。では、最終価格に10万フォル足した額を支払います。後で私の部屋に運んでおいて下さい。額縁は要りません。」
そう言い残して、アランは引き上げて行った。お遊び感覚で10フォルから始めるつもりだったオレストは、アランの浮世離れした金銭感覚に絶句した。